京都三弘法まいり

法話Houwa

2026年04月01日

京都三弘法 法話 《東寺 仁和寺 神光院》

江戸時代に始まった三弘法参り~東寺・仁和寺・神光院のゆかりの寺院でございます。
今回は真言宗をお開きになられた弘法大師、空海さまの「大師号」に焦点を当ててお話しをさせていただきます。

空海さまは高野山奥の院に御歳62歳にてご入定され・・・その後、時を数えて86年の時が流れ~延喜「えんぎ」21年(921)10月21日、当時の醍醐天皇さまの夢枕に、一人の修行僧(空海さま)がお立ちになり、「高野山(たかのやま) むすぶ庵(いおり)に袖朽(そでく)ちて、苔の下にぞ有明(ありあけ)の月」と浄窟「じょうくつ」より二度くり返しお声が聞こえました・・・・

入定されている空海さまは、今も衣の袖が朽ち果てるまで衆生済度に生きておられ、そのお姿はあたかも有明の月のように、世間の闇を照らしておられると醍醐天皇さまは気づかれたのでした。その頃、天皇のお父君でありました~京都御室仁和寺をご開山されました、密教の隆盛に偉大な功績を挙げられました寛平法皇「宇多天皇」と、時の真言長者であった讃岐出身の高僧観賢「かんげん」僧正は空海さまに大師号を贈ることを天皇に強く働きかけておられたのでありました。

夢の中でこの和歌を感得された醍醐天皇さまは、時を選ばず、早速~大臣に命じて「弘法」と言う大師号と、檜皮色「ひわだいろ」の袈裟衣を下賜「かし」されることとなりました~時に、延喜21年(921)10月27日、藤原扶閑郷(ふじわらのすけずみきょう)を下賜御衣の勅使として、平惟助郷(たいらのこれすけきょう)を諡号(しごう)の勅使として~また御廟開扉には石山寺の淳祐(しゅんゆう)等を伴ってご奉仕されました。

奥の院御廟前の広庭は、勅使随員の一行と高野一山の職衆で埋もり空海奉賛の法要と初めてのお衣替の行事が行われたのであります。その時、空海さまは御廟より~「われ昔、薩捶「さった」に遇い、親しく悉く印明「いんみょう」を伝う・・(中略)・・肉身に三昧を証して慈氏「じし」の下生を待つ」との空海さまのお言葉がありました。

空海さまは高野山奥の院に入定されて以来、昼夜、慈氏(じし)「弥勒菩薩」がこの世に下生されるまで、私たちの幸せを祈り続けていますとのお答えでありました。
三弘法霊場は、私たちに~お大師さまのやさしいお心が伝わる霊場であります。
ご参拝を心よりお待ち申し上げています。

ではまた~三弘法でお会いいたしましょう・・・ 合掌

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